昨日紹介したドラえもんのミカン生首キーホルダーの素敵さについて、理屈を考えてみました。
まずミカン。ミカンは食べ物であり、その味でボクチン達の舌を楽しませ、実は消化されエネルギーとなり、生命を繋げていく糧となる物です。そのオレンジ色は収穫の豊かさを連想させ、豊穣な生命を象徴します。
そして生首の袋詰め。生首自体が既にストレートな死のシンボルです。加えてそれが無造作に袋詰めにされていることにより、嫌が応でも生命の尊厳が踏みにじられている印象を受けます。
このように、全く対極に位置するミカンと生首が、無造作に同一化されることによるアンビバレンスが生み出すカオスの奔流が、ドラえもんという日本人の魂に深く根付いたキャラクターと必然性なく合流しているのです!
(更に言うなら、詰め込まれた3つの顔はそれぞれ違う表情をしている)
このオブジェクトを目の前にしたとき、ボクチンの心に言葉に出来ない多角的な感情が沸き上がってしまうのも無理からぬ事なわけです。
って感じに解釈すると、ポップアート?って感じがしてくるじゃろ?