好き好き大好き超愛してる。(舞城王太郎)

hidariwakibara2004-09-12

読了。
芥川賞候補に選ばれた表題作『好き好き大好き超愛してる。』と、ファウストに掲載された『ドリルホール・イン・マイ・ブレイン』を収録した短編集です。
どピンクのケバい表紙と、作品毎に紙質とフォントが違う装丁が、なんだか異様です。タイトルは超キャッチー。

体内で増え続ける虫に、内臓を食い散らかされて死に行く恋人を想う男。夢の中で出会った少女に一目ぼれして、現実世界で彼女を探し求める男。彼女と肋骨を融合させて神様と戦争をする男。ガンに侵され死に行く彼女の横で小説を書きつづける小説家の男。
恋人の女の子が死んでいく4つの異なる物語の断片を通して、サムくもアツくも無い、祈りのような愛が描かれます。
ボクチン的には、死に行く恋人の横で男が小説を書きつづける理由が印象的でした。

柿緒に迫り来る死が僕の小説に対する意欲を何らかの形で興奮させていた、などということじゃなくて、もちろん逃避とかじゃなくて、柿緒に僕が小説を書いている姿を見てもらおうと想ったわけでもなくて、柿緒の死について僕が何か深い考察を小説を通じて行おうとしたわけでもなくて、ただ僕は生きていて、柿緒は寝ている時間とか治療を受けている時間とか結構長くて、僕はあいている時間を埋めなくてはならなかったからだ。何もしてないと暇だったからだ。それに僕は生き続けていくことが大体分かっていて、小説を書かないと僕がそのときほとんど住んでいなかった調布のマンションの家賃が払えなくなってしまい、そのとき僕の荷物を置いといて柿緒が逝ってから戻って住む場所がなくなってしまうからだ。

暇だから小説を書いていた。生活がかかっているから小説を書いていた。けれど、だからと言って、彼女に対する愛情が偽りな訳ではなくて、きわめて誠実で明確な愛情を抱いているのだ、と思いました。こういうのをロマンチックって言うのだと思いました。
セカチューを意識してわざとやっている、という可能性も頭をチラチラ。

主人公のおでこの右側にプラスドライバーが突き刺さってしまい、刺さったドライバーをニルッチとねじって周波数を合わせたら、見知らぬ脳内世界にチューニングが合っちゃた、ってお話。
どこもかしこもセックスを暗喩する表現で溢れ返っていて、むせ返りそうです。単純に刺激的で、むしろボクチンはこっちの方が好きですな。